企業研究物語: ①妄想ノート 前篇
2014/12/27
「ジャーッ!」
水洗トイレの流れる音がした。見知らぬ他人の家のトイレをよくも気軽に使えるものである。
そもそも、トイレを使いたいなら、初めからそう言えばいいのだ。
「ふぅ~っ。スッキリした。ありがとう。」
部屋の奥にあるトイレから出てきた女はそう言うと、「よっこいせ」といいながら僕の勉強机のイスに腰掛けて脚を組み、昨日の夜から机の上においてあった就職活動情報誌をペラペラとめくり始めた。
先程トイレ利用をお願いしていた態度とは、うって変わってどこかずぅずぅしい。
トイレ前後で人格が変わったようである。
「おっ、君、就職活動生なんだ~。どう?順調?」
女は馴れ馴れしく聞いてきた。
「はい、まぁ、そこそこ順調です。」
僕は思わず嘘をついた。本当は就職活動は全くといっていいほどうまくいっていない。
エントリーシートを何十社にも出し、そのうちいくつかの会社では面接まで辿り着いたものの、それ以降は1社も進めなかった。
面接を受けた後に決まって送られてくる「お祈りメール」に最初のうちはショックを受けていたが、今ではすっかり慣れてしまい、ゴミ箱BOXに捨てている。
こうして1年がすぎ、希望の就職先に手が届かなかった僕は、あえて留年してもう一度大学4年生をやり直した。そして、今年も先が見えない、蟻地獄のような就職活動の時期がやってきたのだ。
「そっか、そっか~。ま、大変そうだけど頑張ってね。」
「フフッ」という半笑いを含んだ、軽い返事が女から帰ってきた。
就職浪人生である身分が軽く笑われた様で、気分が落ち込んだ。
受験浪人生と同様、あるいはそれ以上に、就職浪人生という身分は世間では肩身がせまい。
女はというと、机の上や本棚を見たりして、まだ、僕の部屋に居座り続けている。繰り返しだが、営業訪問なら早く出て行って欲しい。
だが、机の椅子にどっかりと腰を下ろし、自分の家の様にくつろいでいるところへ、「出てって下さい」と言うだすキッカケがつかめなかった。
「これは何かな~」
机の上やら引き出しやらを勝手にあさっていた女はふいにそう言うと、一つのノートを手に取り、ペラペラめくり初めた。
「ちょっと待った~!!」
手に取ったノートを見て思わず叫んだ。
「何?何?なんなの~?大声だして!」
「そのノート、ちょっと待って下さい。」
駆け寄って、強引にその手から奪い取ろうとしたが、間一髪で間に合わなかった。
「え?あ~これ?なになにそんな恥かしい事かいてあるの?」
そういって、女は表紙に㊙と書いてあるそのノートを遠慮なく開く。
中身の一部を見られてしまった。
「み、ましたよね?」
秘密のノートを見られたショックに僕は目の前が真っ暗になった。
女が見ただろうものは、僕の㊙妄想集である。妄想癖のある僕は、家にいる時や面接に行った帰りの電車の中でつい妄想してしまうのだ。
あのノートは、そんな僕の週間MVM(モースト バリャアブル 妄想)を集めた一冊である。
死んでも人に見られたくない代物だ。
そこには就職活動でうまくいかない僕の悩みや日々の葛藤も書かれていた。
「マジウケる~。ウケるんですけど!」
茶化した顔で、こちらを見ながら女は言った。
嫌味たらしく、ノートに書いてあった内容を反復しながら、顔をニヤつかせている。
はっきりいって、こんなに立ちの悪い女に会った事がない。
限界だ。
一刻も早く、僕の部屋から追い出したい。
「大体、あなたは誰なんですか?人をいきなりノックとチャイムで起こしたかと思いきや、トイレを借り、そして僕の秘密のノートまで盗み見るなんて!」
僕もついに切れた。
喧嘩一つしたことのない自分がこんなに怒れるなんて、今の今まで想像もつかなかったが、今、自分ははっきりと怒っている。
「誰?誰って、あなたの将来のお嫁さんよ!」
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